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Vol.7 南国のホテルライフがくれるもの

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あの大震災の年、僕はバンコクを4月と6月と9月の3回にわたってバンコクを訪れた。特に6月以降のタイは、雨季であることから天候状態は極めてワイルドな様相となる。バケツというよりもバスタブをひっくり返したようなスコールが降り、大型の撮影用ストロボを1,000台同時に炊いたような稲妻が走り、だけどそんなショータイムはだいたいが30分ほどで終わる。そしてグラグラと煮立った太陽が再びひょっこりと顔を出す。

僕は、バンコクという都市が、この南国特有のワイルドな自然をしっかりと感じさせてくれるところが好きだ。繁華街の人込みを歩いていても、タクシーに乗っていても、大きなショッピングモールの中にいても、そこが南国であることをバンコクは主張しているような気がする。この感覚は、もちろんホテルで過ごしている時も同じだ。僕はバンコク滞在中、ほとんどの場合をコンドミニアム(サービスアパートメントハウス)に宿泊する。コンドミニアムは、機能も規模もホテルとあまり変わらないのだが、部屋のアメニティの種類が限定されていたり、最上階にバーラウンジがなかったりと、ホテルに比べてホスピタリティの“量”が少ない。そして、長期滞在に適した安価な料金設定が、ホテルとは大きく異なるところなのである。日本の都心のホテルでいうところの“スイートルーム”の広さと仕様で1泊5~7,000円は、コンドミニアムならではだろう。

人にもよるだろうが、僕の場合、宿泊3日目くらいから、そこが自分の家のような感覚になってくる。着替えをクローゼットの決まった場所にしまい、歯ブラシの置き場所を決め、机の上のメモ用紙に走り書きが溜まっていく。部屋のバルコニーから見える景色にも慣れてきて、「アユタヤの方は雨だな」なんてのん気なことも頭に浮かんだりする。そして仕事の合間に要領よく時間を作り、部屋で昼寝をむさぼっていると、どんなPAシステムよりもすごい雷鳴に目を覚ますことがある。そんな場合は寝ぼけていることが多く、目を覚ました部屋が自分の家ではないことに少し不安を感じる。

バンコクに出かけると、自分が生きているということ、そしていつかは死ぬということを、不思議に考えてしまう。それは多分、この国の人たちが信仰に厚いからだと思う。この感覚はローマに長く滞在した時も同じだった。僕の中に希薄な“信仰”という観念を、その国の何かがセンチメンタリズムに置き換えようとするのだ。バンコクでのホテル住まいは、僕を解放してくれる代わりに、ホテルの部屋で独りになった僕に様々なことをインストールする。灼熱の太陽も、ワイルドなスコールも、破壊的な雷鳴も、宝石やお金だって、この国のすべては人の生と死につながっているような気がする。